大東諸島のだいたいの位置

大東諸島への行き方

大東諸島の生い立ちと歴史
| 大東諸島は、沖縄本島から東に約360km。地質学的に大陸や日本列島と一度もつながったことのない島であり、固有の動植物が豊富に観察できる。 太平洋上に3つの点を書いたような大東諸島。北から北大東島・南大東島・沖大東島(ラサ島)と名が付けられている。「ウフアガリジマ(遙か東の海の彼方にある島)」と沖縄の古人が呼んでいたことから、その存在は古くから知られていた。初めて南大東島が欧米の地図に現れたのは19世紀後半。1820年に島を発見したロシアの艦船、ボロジノ号にちなみ、サウス・ボロジノアイランドと命名された。後に、1885年、日本政府から命じられた沖縄県の調査の結果、大東諸島は正式に沖縄県下となった。 開拓の歴史が始まったのは、玉置半右衛門(たまおきはんえもん)による。八丈島出身の豪商である半右衛門は絹織業を始め多くの事業を手がけ、鳥島にいるアホウドリのフンを肥料として売ったことで巨万の富を得た。1899年、半右衛門は開拓民とともに荒波を渡り八丈島から鳥島、宮崎、鹿児島、那覇を経由して南大東島に上陸。未開のジャングルを切り開きながら畑を作り、開拓を進めていった。島の温暖な気候を活かしたサトウキビ栽培、そしてそれを原料とした製糖業を基幹産業としていき、黒糖を製糖工場から港まで移送する運搬列車(シュガートレイン)が走る、活気のある島になっていった。 島は、玉置半右衛門の経営する玉置商会から東洋製糖、大日本製糖が順番に所有する形で時代を経て、1946年の村制施行によって国有地としての南大東島になった。島の開拓が始まってわずか100年あまり。豊かな自然の恵みと会社所有の島という特殊な状況などを経て、今 静かながらも温かい人々の生活が続いている。 北大東には約500人、南大東には約1,500人が住んでいる。北大東の人が言っていた。「南大東はなんでも北大東の3倍だと思ってれば間違いない」と。 面積も道路も3倍違うらしい。 尚、沖大東島(ラサ島)には現在、人は住んでいない。 大東諸島は、火山島ではなく珊瑚礁の環礁が数回に渡って隆起した隆起環礁の島である。北大東、南大東、沖大東ともフィリピン海プレートに乗っており、フィリピンの遙か当方の南の海から4800万年もの長い月日を経て隆起しながら今の場所までたどり着いた。今も年あたり2cmの割合で北西に移動している。海岸線はいきなり10m以上の断崖になっていて、島の中央部がくぼんでいるのだ。島の外周部の高い部分を幕上(はぐうえ)、中央部のくぼんだ部分を幕下(はぐした)という。島全体が石灰岩でできているため、島内にはドリーネと呼ばれる石灰岩の小山やウバーレ鍾乳洞がいたるところにある。また、石灰岩の中の炭酸カルシウムが溶けて窪地になったところは池になっており、島の中央部を中心に多くの池が点在している。飛行機から見てもこの島の特異な姿には驚嘆させられる。 ダイトウオオコウモリは、人間より前に南大東島に生息していたほ乳類と言われる。この島固有の亜種で、国の天然記念物に指定されている。オオコウモリの仲間は洞窟に入らず、冬眠もしない。普通のコウモリのように超音波を使わず夜間に有視界飛行を行うため目が大きい。大東神社や玉置公園に出没する。 |
南大東島と八丈島との深い関係
| 1899年、八丈島出身の玉置半右衛門は開拓民とともに荒波を渡り、南大東島に上陸したことから
南大東島の開拓は始まった。 今でも大東諸島では、八丈と沖縄の人・文化が融合している。 一方、八丈島では大東諸島についてどのように 考えられ、扱われているのか。 私は実際に八丈島に行き、その確認をした。 結論から言えば、八丈島には大東諸島にいわれのあるものが あまり見受けられなかった。そんな中で唯一見つけることができたものが、「八丈島歴史民俗資料館」に展示されていた以下の展示物である。 (※なお、以下の写真撮影・ホームページへの掲載については 八丈島歴史民俗資料館の許可を得ております。資料の取り扱いについて快諾してくださった八丈島民俗資料館の管理人の方には深く感謝申し上げます。) |
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| 【八丈島・南大東島 姉妹島縁組盟約書】 昭和57年1月23日に締結された"南大東島と八丈島は姉妹です”という宣言を行った盟約書。 昭和57年締結というのが意外に最近だ という印象がある。その後、両島はさまざまな交流を積極的に行っていくことになる。 |
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| 【八丈島と南大東島の親交の深さを示す展示物】 民俗資料館の一角にまとめられている。 ここの展示物について以下に紹介しよう。 |
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【「胡差焼」の壷】 沖縄陶器「胡差焼」の壷。 これは大東諸島産のものではないが、有効の印として八丈町に寄贈されたものであろう。 |
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| 【大東諸島開拓100周年記念スポーツ&有効の集い】 参加記念バレーボール競技 平成12年7月8日(土) 北大東村 |
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| 【祝 八丈島 南大東島 姉妹島 盟約記念レリーフ】 昭和57年1月23日に締結された姉妹島盟約記念。八丈町と南大東村の紋章が並んでいる。 |
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| 【在島50年以上 開拓90周年記念メダル】 刻印からすると「南大東島に50年以上住んでいた人」に対して贈られたと推測されるが、詳細は不明。なぜこのメダルが八丈島にあるかも不明。 |
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| 【南大東島産 レインボーストーン】 美しいレインボーストーン。 |
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| 【やんばる船 模型】 やんばる船は 琉球王朝時代の沖縄で使われていた形式の船であり、南大東島とは直接の関係はないと思われる。 沖縄の民芸品 的な意味を持つのだろう。 |
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| 【南大東産 ヤシガニ の剥製】 南大東島にいるヤシガニの剥製。オスとメスか?下に書いてある「八丈島の姉妹島 南大東島」という文字で これらの展示物に気がついた。 |
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民俗資料館の管理人の方から話を聞くことができた。 八丈島で「大東諸島の話」と聞いて思い出されるのは「『八丈島記』に大東諸島開拓の文章が約5ページに渡って記載されている」ことだそうだ。 見せていただいた「八丈島記」には確かに南大東島開拓のページがあった。 しかし、史跡等についてはどうも存在していないらしい。 昭和57年に姉妹島の盟約がなされてからは時々 両島でイベントが開催されているそうである。 以前 北大東島の民俗資料館で聞いた「青ヶ島と北大東島で衛星回線を使った遠隔授業が行われた」というイベントもその一環であったようだ。 その他にも、沖縄に多い苗字の「金城(きんじょう)」さんが八丈島に多くいたりと、静かに 沖縄の文化が八丈島にもかいま見ることができる。 |
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