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南大東島
 旅行記 その3

2003年1月12日〜15日の4日間で北大東島・南大東島に行きました!
南大東島滞在3日目(最終日)。

1月15日
6:00 起床。今日の日の出はどのようなものだろう。もう慣れた海軍棒への道をバイクで進む。島の日の出は、何度見ても美しいものだ。手作りパンを食べながら日の出を堪能する。明るくなった空に、海軍棒がまっすぐ伸びている。

海軍棒プールの全容。
8:00 秋葉神社。入り口が思いっきり地図と反対側だ。。まあ島の地図には良くあることだけれど。
小山を上ると「忠魂碑」を発見(忠魂碑にどのような云われがあるのかは分からなかった。。もし知っている方がいらっしゃったら教えてください。)。
ぶらぶらと散策。 植物の緑色・土の茶色・池の水色・空の青の組み合わせが美しすぎる。
金城でいただいた 大東すし。とみさんが朝JAで買ってきたそうだ。「人気があるから直ぐに売り切れちゃんだよ。いいから 食べて食べて」と嬉しい言葉。 3回目の大東すし。

9:00 民宿金城に戻り、昨日電話で見学をお願いしていた南大東地方気象台へ。Oさんが「気象台?行きたいです!」とやたらに興味を示したので「Oさんは地方気象台マニア?」と勘ぐりつつもテクテクと気象台に向かう。"南大東”と聞いた人の半分くらいは「なんか聞いたことがある。あぁ、台風で有名なところね」と反応する。正確に言えば、「台風情報を発信する最前線の気象台として有名」なのである。職員の方は本当に丁寧に説明してくれた。見学のメインは、1日に2回上げるラジオゾンデ(観測用気球)の打ち上げ(?)シーンらしいが、もうその時間は過ぎていた。今の気象予報は、やはりかなりシステム化されていて本土にあるスーパーコンピューターで計算された気象予報が定期的に送られてくるのだそうだ。これからの台風情報には親近感を覚えそうだ。
気象台に行く道すがら、犬を発見!「大東犬だぁ!」と思わず叫ぶ。「えぇ〜」とOさん。もう、大東島で犬を見たら全て大東犬だと思い込んでる自分。犬は恥ずかしそうに、あっというまに逃げていってしまった。


9:30 製糖工場に向かう。事務所に行って見学希望を伝えると工場長らしき人が「今から出かけるんだが午後からにならんかねぇ」。同行したOさんは午前便で帰ってしまうので、「彼女は午前便で帰ってしまうんですよねぇ。。なんとかお願いします」と一言。「そんなら、行きましょう!せっかく見学に来てくれているんだから!」と頼もしいお言葉。工場内を案内してもらった。大東のサトウキビは殆どがハーベスターによる収穫だが、人の手による収穫も一部行われているそうだ。質としては手刈りの方がよいのだそうだ。広場にデンと積んであった、サトウキビの大山は一日で処理してしまうのだった。今の季節は24時間稼動。
ベルトコンベアで運ばれるサトウキビは、圧搾される。その搾汁を石灰で中和して複雑な工程を経て製糖されるのである。全てが大規模で圧巻であった。まさに南大東の基幹産業である。歩留まり11%くらいで、あまり高くはないそうだ。工程の途中で出てきた糖蜜の結晶が美しかった。


昔はこの工場から西港に向かって線路があり蒸気機関車が通っていたのだ。現在、廃線跡は遊歩道になっていて、その面影はないが、この工場内に2mくらい線路跡があるのだ。これは工場の人でも知らない人が居るくらい貴重な存在である! みなさんが行ったときに探してみてください。


10:15 製糖工場の工場長から「ボロボロの機関車があるよ」と言われて行ってみた。駐在前の機関車車庫跡。奥の方に現役を引退したトラックと一緒に、朽ち果てた機関車が置かれていた。沖縄では見ない光景だ。
1030 空港へ。真下から飛行機を待ち構える。プロペラ機は静かに頭上を過ぎていき滑走路に降りた。その後 この飛行機は午前便として那覇に向けて出発。Oさんはこの便で帰途についた。とみさん、久々に来た女性客が一人去ってしまうので寂しそうだった。

11:40 本場(ほんば)海岸。北港より東側にある海岸。こちらの方が北大東に近い。岸壁が大きく壊れてえぐれていた。ここには船は着かないのだろうか。壊れた岸壁はそのまま放っておかれていた。

12:20 "島まるごとミュージアム”へ。入場の記帳欄には昨日民宿金城に来たHさんの名前が。そういえば、「私、島に来たら島の全体が分かる資料館とかに最初に行くんです」と言っていたな。色々な掲示物も面白かったが、一番面白かったのはアルバムに納められた古い写真や新聞・雑誌記事。テレビ放送が始まった頃の番組表。放送衛星が打ち上げられるまでは、テレビ放送は飛行機送られたビデオテープを使って一日数時間のだけの放送だったそうだ。この頃、渡辺絵美(スケーター)が南大東島を訪問している。その雑誌記事が非常に面白かった。
13:00 三度 伊佐食堂へ。大東そばと大東すしを注文。おっ、今日の寿司は艶やかで滑らかであった。するすると平らげる。今日で伊佐さんともお別れである。南大東にまではそうそう来られないけれど、那覇に行ったら大東そば那覇支店には行こうと思う。 那覇支店長に代金を支払って 大東そば・大東すしともしばらくお別れ。 おいしかった。
13:30 南大東役場へ。無理を行って資料を色々ともらう。広報誌はその島の特徴が出ていて面白いから、旅行に行ったら必ずもらうのだ。。「島の概要が載っている資料はありませんか?」と聞くと「何に使うんですか?」とか「ええっとあったかなぁ」と色々と言われたけれど、最後に「じゃあ、これを差し上げます。一生懸命勉強してください」と。。。
学生に見えたんかな? ありがとうございました。

"ふるさと文化センター"へ向かう。記念保存してあるシュガートレインが迎えてくれた。小さな可愛い機関車であった。文化センターでは南大東の写真展が開催されていた。古い写真は貴重である。当時の様子をそのまま表しているのだから。クレーンで吊られ上陸する船客、大きな構内を走るシュガートレイン、土地所有権が島民に戻ったときの記念行事の数々。戦前の港はみな、岩場の隙間に申し訳程度の岸壁を作った程度のものであった。この頃の苦労はいかほどのものだったか。。
14:00 JAでお土産調達。南大東のお土産といえば、大東ようかん、シージャーキー、黒糖などがあるだろう。「空港より安いですよぉ」とのおばちゃんの言葉につられ大量に買い込んだ。奥のコーナーでは、冷凍肉・魚がごちゃっと積まれていた。おそらく昨日の船で到着したものだろう。豚の三枚肉を発見。

14::30 フロンティアロードで西港へ。やけにゆったりとしたカーブの道。廃線跡であることがピンときた。今は線路であったことが全く分からないが、当時の様子が眼に浮かぶようである。西港近くの墓地では、珍しいことに沖縄式のお墓と普通のお墓が並んで立っていた。このような光景は、沖縄でも本州でもなかなか見られないのではないだろうか。

14:45 製糖工場の廃線線路の写真を取りに行く。事務所に「線路跡を撮りに行っていいですかぁ?」と聞くと一同「そんなのあったっけ?」という会話。場所は分かっていたので許可だけもらって写真を撮りに急ぐ。

15:00 金城に戻る。とみさんは 忙しそうにしている。「郵便局に寄ってから空港に行くけれどいいかい?」郵便局のポストの上にあるダイトウオオコウモリの剥製を再び見る。郵便局は地方・離島では本当に生活に根ざしている。今やオンラインのATMで現金がいくらでも(といっても限度があるが)出てくるのはまさに"文明化の成せる技”というものだろう。

15:30 とみさんの安全運転で空港へ向けて出発。空港では午後便を待つ人が多くいた。とみさんに 「これが美味しいんだよ」と大東ようかんをもらった。田仲商店のようかんだった。色々な味があってそれぞれが美味しかった。包装がやや雑で、形も歪んでいるところがなんとも手作り感があってほほえましかった。

民宿金城さんのロビーにかけてある 大東そば那覇支店
の宣伝ポスター。格好いい)

南大東郵便局のポストにおいてある
ダイトウオオコウモリの剥製。
19:00 その後、那覇から飛んだ羽田便の機内で、買ってきた大東すしを泡盛とともに(またかい!)ほおばった。この旅行で大東すし5回、大東そば3回。満足だった。羽田に着いた飛行機の降り際、妙な格好ですしをほおばっていた私に興味を示したのか、スチュワーデスが「どちらへ行かれたんですか?」と思わず尋ねる。「大東島です。楽しかったですよ!景色も人も素晴らしかったです。」 この季節にはありえない格好の青年は 無精ひげが生えた めいっぱいの笑顔を浮かべた。ちょっとよろけた。

私は決めた。『これから 大東島宣伝活動を大々的に展開しなければ!』

リュックを背負い、この寒い1月にさしたる厚着もせず、サンダル履きでうとうとしながら そのように誓った私を、京浜東北線の水色の電車は 平日の通勤客と一緒くたにして、いつもと変わらず走っていったのだった。




・・・・最期に。温かいもてなし島の方々。の偶然同じ宿に宿泊し、この絶海の島で楽しい時間を過ごさせていただいたOさん、Hさん。そして、4800万年の時をかけてこのすばらしく、荒々しい自然の造形を作り出したこの島そのものに感謝いたします。
また行きますよ!南大東島へ!
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