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津堅島旅行紀(2日目)

6:00 津堅島の日の出は「きが浜」であろう。真っ暗な道を進む。徐々に日の出が早くなり、日の出の方角も北に寄っていくこの季節。日の出ポイントを間違うと大変。

6:25 今日は水面近くの雲が厚い。上空の色からすると、もう日が出ていて良い。雲間から太陽の一部が顔を見せた。 若干の隙間から明るく明るく太陽がこちらを覗いている。日の出はどんな場合でも美しいものだ。このように雲が多いときは、太陽が隠れてその光線が四方八方に広がる光景も美しい。まさに、この世のものではない光景なのである。このあたりでふと横に目をやると、もう砂浜も木々も明るく本来の色を見せている。
6:50 ペークガマに向かって進む。津堅には遺構、洞(がま)(=鍾乳洞)、河(がー)(=井戸)、拝所などがかなり多くある。ペークガマは、恐らく有名な所。ちゃんと立て札もある。、、が、、、立て札には「300m」と書いてある。矢印が指す先はジャングルである。こういうとき、自転車でどこまで行くかはなかなか難しい。ここはアップダウンがなさそうだからいいけれど、油断すると戻ってこられなくなってしまう。茂みをかき分けつつ進んでいくと、道は周りの木々でところどころ寸断されそうになっている。途中で2台、朽ち果てた車が置かれていた。晴れているはずなのに不気味な静けさと涼しさと薄暗さ。
7:00 たった300mとはいえ、ここまで進んでしまうと心細くなってくる。引き返そうかどうか迷いつつ勇気を振り絞ると、足元が砂から岩場に変わってきた。そして、目の前に姿を現したのが、ペークガマであった。ホールケーキの真ん中あたりから真横に切れ目を入れたようなその壁は、自然物でありながら何か高度な意思が働いて完成したような、言い知れぬ神秘を感じる。ここは、チキンペーク(津堅親方)が隠れ住んだところなのだ。なにか、今でもその人が出てきそうな雰囲気を与える。小さな祠があり賽銭があった。自分も祈る。私は確かにこの島に、ふらっときた旅行者ではある。しかし、それだけではここにたどり着けなかっただろう。一期一会。
7:10 ペークガマを目指して歩いてきたこの地点は、島の北東端なのである。もう島を半周してしまった。少し島の真ん中に戻ると、黄色い土が見えてきた。緑の葉がたくさん顔を出している。にんじん畑だ。
7:20 北端にあるヤジリ浜についた。目の前には150m程度離れて無人島(アフ岩)がある。海の一部が浅くなっているのが良く分かる。しかし、本当に歩いて渡れるのだろうか。。津堅島の東は、太平洋が広がっているのだ。外海に直接面しているこの海域が数十センチも干満を繰り返すのか??疑問は残った。

7:30 シヌクガマとヒガル御嶽を見る。意外ときれいに整備されている。しかし、昨日あさとストアーでもらった津堅島のパンフレットと写真が違うぞ!

アフ岩。とても歩いて行けるとは思えない。。。


マンホールにもニンジンが!

屋根で寝ているニンジン。家の人はこの一大事を知っているのだろうか。。。

7:40 西側の浜辺に来た。津堅島は、砂浜が多いが、この浜から南側には岩場が続く。遠くでは漁船や貨物船の往来が増えてきている。また今日も人々の生活が動き出した。

8:00 島を反時計回りに巡り、集落が近づいてきた。ここは神谷荘と、メインの海岸があるところ。ここではなんと、巨大なにんじんが屋根の上に降ってくるという災難に会いながらも営業を続ける店が見られる。また、隣にはそのにんじん禍を免れ、現代に残る「中の御嶽(なかのうたき)が海岸に向かって建っていた。

8:05 ふと、後ろを見るとなにやら騒がしい声が。見たことがあると思ったら、宿のおばさんだった。「自転車を返して欲しいんですよぉぉ〜」と叫うおばさん。 今僕が乗っている自転車は、南原旅館で借りたものだった。いつものように「日の出を見に行くので、早朝から自転車借りさせてください」と言って借りたのだった。おばさんが、「ウチのおじいさんが畑仕事に出かける時間なんで、申し訳ないけれど自転車を返して欲しいのよ。。ほら、鈴木さん 昨日『7:00の船で帰るかも知れない』と言ってたでしょう?だから おじいさんの朝の畑仕事までは自転車が戻ってくると思ったんで。。。本当にすまないけれど。。。」
それは悪かった。生活に必要なところを好意で貸してもらった自転車である。すぐに自転車を返し、テクテク歩きながら残りを見ることにした。このあたりは、公園や学校、商店もあり、民家も集まっている。

さ、刺さってル。。。

高台にはまたにんじんの攻撃が。直径5mはあろうかという巨大なにんじんが刺さっている。偶然にもこのにんじんは地面に対して寸分違わず垂直に刺さったため、島の人たちは協力して中をくり貫き、空からのにんじんに対するための監視台にしたのであった。数度にわたるにんじんの攻撃は、何を意味しているのだろうか。そしてその攻撃をもろともせずにたくましく生きる津堅島の人々。この事実はあまりにも知られなさ過ぎる。今、私はここにその事実をみんなに知らしめる。
(この文章は一部思いっきりフィクションです)

刺さったニンジンに登ってみた。


この写真は、津堅小中学校入り口です。
8:35 津堅公園に着く。ここには国森の御嶽がある。島の生活が始まっている。朝の散歩をするおじいちゃんおばあちゃんが僕を見るともなしに見ている。犬が思いっきり吼えている。私は異国の人。
8:40 板橋さんから電話。聞こえにくくて意思の疎通をとるのに時間がかかった。要するに、9:00までに僕の宿泊先の南原旅館で待ち合わせということ。 南原旅館に戻る道すがら、これから訪問する「サラダ工房」の看板を発見。

8:55 南原旅館で待っていると、外に車。板橋さんが来た。地元の人ではないことが一目で分かった。早速畑に案内してもらう。板橋さんは、宮城県亘理郡で農園を経営しているのだそうだ。「なぜ津堅島なんですか?」たずねる私に板橋さんは「土地が確保できたのがここだったから」と答える。沖縄は、内地の人が新たに土地を借りたり買ったりするのは非常に困難である。少なくとも、沖縄の地元に保証人がいなければならない。また、沖縄は観光地化されてきているとはいえ、やはりよそ者に対しては閉鎖的な側面も大きい。
板橋さんは「沖縄に土地を借りたい」と思ってから実現するまで3年かかったという。かつ、本当は沖縄本島に土地を借りたかったがそれはまだ実現していない。津堅島は農家の高齢化も進んでおり、休耕地も多くあったこと等が幸いして、土地を借りられたのだそうだ。「沖縄に移住したいという友人がいるんですよ」と続けると、板橋さんは「そう簡単ではないよ。商売についても縄張りが厳然としてあるし。やはりよそ者には大変さ。」 苦労の実体験からくる言葉である。
9:05 島のほぼ中心部にある「ミーガー」到着。以前はこの井戸が島の水源であった。今は使われていないらしい。「海水の味が少しするんだよ。」と板橋さん。この水はアルカリ性で、ニンジン作りには適しているのだそうだ。「でも、パイナップル作りには合わない。」?すると、なぜここで板橋さんはパインを作っているのだろう。。。。 明確な理由は最後まで分からなかった。
9:10 島の北部の海岸に案内してもらう。目の前には離れ小島が。「ここは、昔 引き潮の時は歩いて渡れたのだが、今はもうだめだ。」との話。昨晩のおじさんの話と違うぞ・・ 近くの路地に咲いている「ノニ」という木は、今 内地で漢方薬として人気が高いのだそうだ。そのノニが自生しているのは珍しいらしい。他に、この島は蝶々が多いことでもすばらしいのだそうだ。この板橋さん、なかなか侮れない。

9:25 大きなビニルハウスが数棟並んでいる。ここが「サラダ工房 沖縄」の生産地である。津堅島の南東部の一角。かなり大きな土地である。ここが、やっと借りることができた土地なのだそうだ。

ビニルハウスの中にはたくさんのパイナップルが並んでいる。「シュガーパイン」という名前で出荷しているのだそうだ。流通コストを抑えるために、インターネットによる直接販売を行っている。水耕栽培をしているという。よくみると、全てのパインの木は、鉢植えに入った軽石に植えられている。そして全ての鉢植えの脇にはホースが届いており、そのホースに開けられた穴から水と栄養分が送られるのだ。“土壌や自然の天候変化に影響されない農業”を目指しているのだという。ビニルハウスも、骨組みを強化し、斜めの骨組みを追加して台風シーズンでも飛ばされないようにしている。「でも、台風が直撃したら飛ばされちゃうんでは?」と聞くと、「そういう時は、ビニールを外しちゃんですよ。風に対して抵抗があるからビニルハウスが壊れるんであって、ビニールを外して風を通せば壊れない。中のパインは、そういう強風には強いのです。」水についても、パインは酸性の水を必要とする。さっきの井戸(ミーガー)の水はアルカリ性。だから、水は雨水でまかなっている。雨水のPHは5.5程度で適度な酸性。うまくできている。

パインの大人。

パインの子供。

ドラゴンフルーツ。まだ実は生っていない。

ビニルハウスの中にいる赤ちゃんパイン。
10:10 隣のビニルハウスでは、パッションフルーツが栽培されていた。ここでもパッションフルーツの根は中に浮いた発泡スチロールの中の土から生えている。完全に地元の土からは分離されているのだ。水・栄養分はこれもホースで供給されている。「地面に敷いている葉っぱは、雨のときでも歩けるようにするためですよ。これなら雨でも水はけが良くて普通に歩ける。」どこまでも合理的。アイディアに満ちている。水や栄養は過剰に与えないほうが果物の糖度が高くなるのだそうだ。「水も、土地も津堅島のものではない。そうすると、この農法は沖縄でなくても(内地でも)できるのではないですか?」と聞くと「ここは内地とは違う“日照量”がある」との返事。単なる日照時間ではなく日照量(強さ?)が必要なのだそうだ。例えば桜は、日照時間の累積がある値になると開花する。そのようなこととは違う。
10:20 戻りがてら、ホートゥガーに寄る。ここは「鳩が見つけた泉」という伝説から「ホートゥ(ハト)ガー(河)」と呼ばれている。昔、日照り続きで水がない時、鳩だけがいつも羽を濡らしているのを不思議に思った人が、鳩の降り立つところを掘り進んだところ発見した水源なのだそうだ。津堅島の住民の大切な飲料水に使用された。眼下には美しい海。その先には本島が見える。
「海が綺麗ですね。」「表面はね。底にはごみがたくさん沈んでいるよ。島にも多くのゴミが不法投棄されている。年に1度くらい、米軍の兵士がボランティアでそういうゴミを綺麗にしていくんだ。日本人として恥ずかしい。」 このあたり、旅人と住民の感覚は違うのだ。表面に見える美しさ・観光地の美しさは、その裏に大きな大きな犠牲と汚さを隠していることが少なくない。表も裏もなく、綺麗な姿を見たい。旅人としてできることは「来たときよりも汚さない」「自然を変化させない」ことだろう。
ホートガーから見る沖縄本島。

板橋さん、色々と紹介していただき、ありがとうございました。
メールの返事ください!
10:30 船の時間まで30分。板橋さんが「最後に、構造改善センターでお茶でも。」ということで“津堅構造改善センター”に向かう。ここでは、津堅で取れた農産物や海産物を地元の主婦を中心に加工・販売している。
「こんにちはぁ」いきおいよく板橋さんが入っていく。もうすっかり住民とも仲良しだ。
ここで試食させていただいたのは「ニンジンジュース」「塩辛(イカ墨味、キムチ味)」「ニンジンの天ぷら」「蒸かした大豆」「茹でたタコ」「もどした干し鰯」「コンブの煮物」。次々と運ばれてきたのだ。。しかも、この中で常時売り物になっているのは塩辛だけ。その他は我々が来たということで出してくれたものだったのだ。。。感謝しつつ一通り全てを口に運ぶ。
なかでも絶品は「ニンジンジュース」であった。これは言葉では言い表せない! 「ただニンジンを搾っただけなんですよ」というおばあさんの言葉を半分聞いただけで、この味に感嘆の叫び声を上げてしまった。甘い。自然の甘さだ。子供の頃に、ニンジン嫌いになる原因と思われる“エグさ”が全くない。お世辞なしに、自然の甘さのみが口に広がる逸品であった。 このニンジンジュースは、たまに本島・平敷屋港で行われる津堅島農産物の販売会で売られるそうだ。1.5Lのペットボトルに詰められて。「これ、本格的に販売したらいいと思うんですが。」と聞くと、板橋さんもうなずいている。どこにでもあるような「有機栽培の果物・野菜の加工品」という類のものではもう消費者は満足しない。このニンジンは「津堅でしか取れない甘いニンジンジュース」になるのである。
この唯一性は消費者の心をくすぐること間違いなしだと思う。

絶品のニンジンジュース。
写真撮る前に飲みきっちゃいそうだった。

奥が、ニンジン天ぷら。これも美味。
他の紹介もしなくてはなるまい。ニンジン天ぷら。“ニンジンたっぷりのかき揚げ”といった感。これまた良い味だ。沖縄の天ぷらは衣が厚く、フライのような感じである。その中にあってこの天ぷらはニンジンの甘みが良く出ている。
塩辛は、この沖縄にあるのがちょっと不思議だったが保存食として作られていたそうである。イカ墨味の塩辛は甘み・しょっぱさも程よく、気に入った。
みんな、そのままこの島で食べられている料理ばかり。非常に満足だった。おばあちゃんも、見知らぬ僕にあれこれとサービスしてくれる。まあ僕というよりは板橋さんにサービスしたのだろうが。。。
いずれにしてもニンジンジュースをはじめとして、美味しい料理の連続でショックを受けたのであった。
11:00 帰りの船の時間が近づいてきた。半日しかいなかったがかなり充実した津堅島であった。

今年も暑くなりそうな予感。 また来るぞ!待ってろよ!

(2003年4月5日〜6日)


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